山梨県富士河口湖町河口に伝わる神楽舞。毎年4月25日の例大祭
864年、富士山の貞観大噴火を鎮めるために、富士山の祭神である木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)を祀る河口浅間神社で、童女が舞を奉納したのが起源とされている。
氏子の中から舞手に選ばれる童女は、両親が健在であることが条件である。
また古くは、神職や御師の家など家柄も限られており、舞手である稚児に選ばれることはとても名誉なこととされている。
稚児は神前にふさわしいよう、礼儀作法や立ち居振る舞いも指導を受け、神事の前から毎朝、生ものを食せず、火打ち石による切り火で身を清めるなど、様々なしきたりがある。
舞は、緋色の鮮やかな装束に身を包み、右手に神楽鈴、左手に御幣、扇、剣を用い、7、8人ほどの稚児が一日かけて神前で舞う。
お囃子は「シタカタ」と呼ばれ、大太鼓・鞨鼓・笛を成年男子がつとめる。
河口地区のほか、3キロほど離れた湖岸の大石地区にも大正時代に伝わっており、4月25日に、河口湖に浮かぶ鵜の島の浅間神社に奉納される。
この映画においては、大石地区の稚児舞に実際に参加して撮影された。